アラサー女の戯言

いろいろあるけど、生きてるのよ。

親の仕事を継ぎたくない気持ち。

 

何かを選択するときに

「嫌だ」という感情を優先するのも1つの手段だと思う。

 

私はいつもそうしてきた。

 

 

私の両親は仕事人間だ。

共働きで,母もいわゆる「バリキャリ」だ。

だから私の小さい頃の保護者といえば祖父母だったし,

当時はそれが「みんなと違う」からすごく嫌だった。

私は幼い頃から集団の中での上位カーストをかぎ分け,

その中に居ることで安心感を求めていた。

小・中学生の上位カーストにいるための必須条件は

「みんなと同じ」であることが大前提にある。

ただ私は親の職業柄,

上位カースト内の「みんなと同じ」に合わせることが

なかなか困難だった。

母が仕事でママ友の情報共有が出来ていなかったこともあるだろう。

いわゆる「親が厳しい」家庭ということになる。

 

 

何度も親の職業を恨み,

代々同じ職業を続けている一族だが

「この仕事は絶対に嫌だ」と思うようになっていた。

今となってはそれも「ヨソはヨソ,ウチはウチ」の範疇なのだが。

 

 

しかしいつの日からか,

カースト上位の「みんなと同じ」を実現するため,

私は「親をだます」ことを覚える。

そして,最新の上位カーストでいるための「みんなと同じ」を

どうにか親に理解してもらうために奮闘する。

これはダメだろうから,ああ言おう,こう言えば大丈夫。

ただ,これが私の社会的行動基準になっており,

おかげで両親の職業レベルの社会的一般常識を

感覚的に身に付けることが出来たので,かなり感謝している。

 

 

ここで備忘録として残しておくが,

私がカーストに合わせることなく好きだったのは

ジュニアブランドの洋服だけだった。

金持ちだからねと言われることは

本来ならば避けたいと思うポイントなのだろうが,

そんなことは関係なく,洋服が好きだった。それは今もかわらない。

 

 

中学ではカースト維持のため「バカキャラ」を装い

あえて勉強せず,テストでわざと悪い点数をとったりしていた。

はじめての数学で45点をとった私を見かねた母が本気で落ち込み,

その成績はまずい「塾に行くか」と行って塾に入ったが,

これも計算通り。私は塾に行きたかったのだ。

私自身,将来のことを少しは考えたときに,

このままバカキャラを装うのもバカだということに気づき改心。

私の人生においてテストで100点をとったことのある教科は数学だけだ。

一気に学年トップ10に躍り出た私だが,

「塾のおかげ」ということにして最上位カーストは維持する。

 

 

高校受験の時期になるとカーストも崩れかけてきて,

私もどうせならトップ校に入りたいと勉強する。

しかし残念ながらトップ校の受験は「安全圏」ではない。

とにかく「落ちるのが嫌」だった私は安全圏まで志望を下げて受験。

不本意ながらも一安心し。

同じような学力の子が集まる高校へ進学する。

 

 

当然高校でも上位カーストを目指した私だったが,

抜群に美人で可愛い子の多かった高校で,私は身の程を知った。

ただ培った上位カーストに入り込む能力は通用したため,

カーストに悩むことはあまりなかったが,

高校の上位カーストは居心地が悪いと感じた。

上位カーストと良い距離感を保ちつつ,

私はやがてそこからは一線を介すようになる。

そこはとても居心地がよく,

そこに居る自分とそれを取り巻く人間関係がすごく好きで,

それは今でも変わらない。

 

授業中は寝るか早弁するかマンガを読む,

放課後と土日は部活に明け暮れる。

テスト期間で部活がないときは学校で遊ぶ。

高校生の私に勉強する暇などなかったし,

勉強する必要性など一切感じなかった。

周囲が受験モードになっていくのに比例して,

私はぎりぎりまで高校生を楽しんでいた。

当時の私に「勉強する」という選択肢はなかったので,

後悔しようがない。

ただ後悔するとすれば,浪人するか,

田舎でも国立に入れば良かったという点だ。

私が入ったFラン私立で出会ったもののほぼ全ては質が悪かった。

高校受験のときと同じように安全圏で不本意でも国立に入れば良かったのに,

「落ちたくない」に「田舎は嫌だ」が勝ってしまったのだった。

就職先を決める際も,何よりも「田舎は嫌だ」が勝った。

 

私の田舎嫌いはどこから来ているのか分からないが,

両親の職業に影響を受けている気がしている。

 

私は私の両親による私の育て方に一切の不満も恨みも感じていない。

そして立派な家庭を築き,支えながらも管理職まで上り詰め仕事をしている2人を心から尊敬しているし憧れる。

なのに何故私は両親の職業に近づく選択を決まって避けてきたのか,

それは単純に私への愛情を両親の職業に奪われてきたからだと思う。

愛情が足りないなんて思ったこともないし,むしろ充分すぎるくらいの愛情を今も注がれているとは感じている。

だがしかし,幼心に私は,毎日仕事から帰ってくる母の「疲れた~」という言葉とため息に,私が母に話したい今日あった出来事やカーストへの悩みを話す時間と心の余裕を取られていると感じていたのだと思う。

 

 

私が社会人になり疲れたとため息も出したくなるほどに追い詰められる前までは,

私が世の中で一番嫌いな言葉は「疲れた」だったし。

私が世の中で一番嫌いな動作が「ため息」だった。

3時のおやつはあまいものを

 

今朝は目覚めから吐き気。

まだ二日酔いだろうか。

昨日食べたすべてのものを後悔しながら,

それでも朝食を食べようとしているこの指令は

どんな意味があって私の身体のどこから出されているのかと考える。

 

ただ,

今朝は朝食を「食べない」を選択し,

朝食を仕舞い,この吐き気はきっと飲み過ぎて食べ過ぎた胃もたれということにして

散歩に出かける。

走ろうかとも思ったが,

心拍数を上げることをまた私の身体のどこかが拒否している気がしてやめた。

 

散歩が終われば食欲も戻り,

食べなかった朝ご飯と昼のカレーを一緒に食べる。

 

ぼうっとテレビを寝ながら昼寝をする。

最近はこんな毎日が多く,軽く自己嫌悪になったりもするが,

皮肉にもおかげで肌の調子がここ5~6年で間違いなく良い。

 

 

立て込んでいたお盆の遊びの予定を消化し

苦痛な手続きも落ち着き恐らく本当の意味で「休んだ」2週間。

私は少しでも回復しているのだろうか。

 

こうしてブログを書いていると

自分の行動や考えを肯定できている気がしてとても健康的な気分になれる。

それが義務化してしまっては意味がないと思うが,

いずれ消してしまうとしても,今の私にはちょうど良い。

 

そろそろ考えを行動に移すべきなのは分かっているし,

こんなにも行動に移すのが遅いのは私にしては珍しい。

 

けれど今はわざわざ「立ち止まって」いるのだからもう少し立ち止まっても良いよねと。

立ち止まった分だけ大きく飛べばいいし誰より早く走れればいい。

二日酔いに効くのは

 

 

 

飲んだあとに完食できるラーメンを、

美味しいラーメンと言うことに決めた午前5時。

 

 

 

昨夜はまた一週間ぶりに飲み会へ参加した。まだ少し街中へ出るのは気が引ける。

 

 

 

料理もお酒も美味しくないけれど、

いかにも男性が選びましたという雰囲気の店で飲んだことが楽しかった。

 

 

 

その後最近知り合った人が飲んでいるという居酒屋へ行き、そこからまた更に別で開催している飲み会にも行こうと思っていたが、そこに居座るとこにした。最初から断るということを滅多にしない私はこうなることも多い。反省すべき点なのか、私らしさなのか。

 

 

 

 

昨夜の私の言動が、昨夜私と会った人にどんな印象を与えていて、それが今後私をどんな人としてうつっていくのだろう、少しでも悪い印象を与えていたとしたら、次はどうしたら好転できるだろう

 

 

 

 

気にすることではないし

気にしても仕方ないというのは

わかっているので、

毎回こういうことで思い悩むことはない。

でもただ私は無意識にこういうことを意識してしまって、疲れることもあるのかな。

 

 

 

新しい人間関係は少し疲れる。

けれどその関係だって

ただつながっているだけでも

歴史を重ねていけば、

かけがえのない関係に

なっていくのだろうか。

 

 

 

目と指が脳を介さず

つながっているかのように

言葉をつむげるLINEと、

既読にすることにでさえ

脳がだだをこねるLINEとを、

交互に飲み込んでいると、

自然と来週の予定も埋まっていく。

 

 

 

昼食にラーメンを作った母に、

今朝もラーメンを食べたことは内緒にした。

 

 

 

 

元カレと、

最近よく連絡がくる彼と、

明日の合コンのやりとりが並ぶ華金のLINE。

 

 

いまの私に華金なんて関係ないのだが。

 

 

 

月曜からがんばって、

明日と明後日は休みだから、華金。

 

 

この週末のだいたい60時間を、

めいっぱい楽しむために働くのだって、

5日かけてだいたい50時間くらいじゃないか。

だけど今までの私は

この50時間がとてもとても重たくて、

楽しいはずの60時間も食べられてたんだ。

 

 

私の心に居座って

楽しいことを全部食べようとする

悪い黒い犬はどこだ。なんだ。

椎名林檎を聞いてたら生きてても良いのかなと思えた。

 

今日はいつもより1時間ほど早く目が覚める。

 

 

昨夜の同期との電話は私の眠りの妨げになったのか良いアシストになったのか分からないが,少なくとも彼が今日いつもより少しでもすっきりとして満たされた朝を迎えているのなら,私はとても気分が良い。

 

ただ私はすこぶる調子がよくない。

 

起きたくもないし何もしたくないし食欲もない。

 

ひたすらに重たい心と体を何らかの力でリビングに向かわせ,

準備された朝食のほかに,わざわざ食べたくもないレトルトカレーを温める。

さらに冷蔵庫で死にかけていたあんこ餅に手を出す。

物足りなくなって構わず魚肉ソーセージも食べる。

朝食にしては食べ過ぎだが今日はこれでもう食事しなくて良いのだと思うと気楽になれる。

ここ数日はそんな食生活が続いている。

 

ためていたジャニーズの録画をみる。最近やっとこちらの趣味は復活してきた。

 

ふと開いたyoutube東京事変椎名林檎を勧めてくるから,

ミックスリストを開くと,これはずっと聞いていたい気持ちになる。

 

聞くなら歩こうかと4月ぶりにZARAのスウェットを出し,

ほぼ衝動で近所の木の多い道を歩きに出る。

 

この格好でこの時間に歩くなんてモデルっぽいなと馬鹿みたいなことを考え,モデルウォークをしてみる。

この世には自分が綺麗でいることでお金がもらえる人もいるのに,

綺麗になりたくてお金を払う人もいるんだから無茶苦茶だなと思うと笑える。

私は前者にも後者にもなりたい。

 

椎名林檎が歌う歌は何も考えずに聞いていられる。

彼女が選んだ単語に対して私たちがもつイメージを全て正解かのように流してくれる。

しかしそのまま勝手に自分の解釈で歌を自分の心に収めようとすると林檎さんに首根っこを捕まれるところがまた心地よい。

 

価値は命に従ってついてるーありあまる富椎名林檎

 

救われるような力はないけれど,林檎さんがそう言うのなら,と思える彼女と彼女たちの音楽はこれからも私を救ってくれるのだと思う。

 

 

背後から走ってくるランナーに抜かれる。

いつもなら少なからず恐怖を感じるのに,今日は全く感じない。

撃つなら撃てば,刺すなら刺せば,と思ってしまう。

そしてこの山林に寝かせてくれればいいよと。見つかるのは3日後かなと。

でも見つかったら大変だから,死ぬならナイヤガラの滝に落ちると決めたので,私はもうしばらく生きていられると思う。

 

 

人生に手本も教科書も正解もないのに,

どこか自分より少し先を歩く人を見ては,

それを参考書にして問題を解いてしまう。

問題が解けなくても,

世間体や常識という辞書で例文を引いて,

応用して答えにしてしまうから

この世には誰もたどりつけない100点がきっといくつもあって,

誰しもがその100点を目指している。

 

 

何点でも満点なのに,

それに気付ける優等生は,この教室に何人いるのだろう。

 

 

生きている間にオール5をくれる人に出会える人は,

もしかしたら少ないのかもしれない。

 

 

だったら,自分にオール5をあげたっていいじゃない。

 

 

生きているうちはずっと旬だと

そう裏付けて,充たして,

今を感じて覚えて何時もより

生きて,活きて,生きていよう

ー旬/椎名林檎

 

 

家に戻り午後2時に浴びるシャワーはとても心地良い。

疲れたら昼間からシャワーを浴びるのも悪くないなと,

今を感じて覚えて何時もより,

 

生きていこう。

備忘録としてーうつ診断された日ー

 

入社して2年目も半分過ぎた頃

ああまた最近休みが少ないなと

夏休みもなさそうだなと

 

 

ー先輩今日の飲みの約束なんですが,

すみません,疲れたの帰ります。

 

 

驚愕のノリの良さとフットワークの軽さで有名な私にしては珍しい。

 

 

翌朝

 

 

ー部長,熱出したので休みます。

 

病欠するなんて大学生の頃バイト10連勤と平行して飲み会10連チャンぐらいして

熱出してバイト早退したとき以来だ。

仮病だって大学時代のどうでもいい学生団体のだるいセミナーを

ドタキャンするときにしか使ったことない。

 

その日はどうも準備がはかどらず,

みるみる時間がすぎる。

こんなの毎日だったけど,

「行かなくていい」

と魔が差したのははじめてのこと。

 

調べていた精神科,心療内科に電話して予約をとる。

何件かかけたが,当日予約はいっぱいでとれないとこもあった。

心の病院ってこんなに混むのか,と,

安心したような,日本大丈夫かよと思ったような。

 

たぶんきっといろいろにいろいろなことが重なって,

この日会社に行かなくて,病院に行くことになったのだと思う。

 

 まもなく会社に行かなくなって一ヶ月がたつ。

私はまだ立ち止まったまま。

 

 

冷えてきた夜に

今日はiPhone

枕元に置かないで寝ようと

床に入るも、

今日は急にお金の心配で寝れない。

仕方なくiPhoneを迎えにいくと

同期からの着信。

この同期にとって私は

話を聞いてもらうための人

なので思う存分聞いてやるかと

掛け直す。

わりとためにためてから

ブチまける奴なので

内容の検討はついていたけど

どう出るかなと思い話し出す。

案の定思ったとおりの内容で、

うんうん、はいはい、だいじょうぶ。

とだけ言う。

奴は自分の考えを変えたくて

話すんじゃなくて

ただ話を聞いてほしいだけなので

ちょっと迷っている節を

暗めの前向きな言葉で応援する。

私はこうやって相手が

何を言って欲しいのか

を読んで話すし、

何をしたいのか

を読んで行動する。

そこに自分の意思はない。

他人の意思に乗っかってるだけ。

性格だから仕方ないし

これが私の良いところだと思ってる。

でもいまはパンクしてしまってるのかもしれない。