寂しさに耐えうる老人に。
今週のお題「理想の老後」
結婚相手には、自分より先に亡くなってほしい。
寂しい思いをさせたくないから。
推しには、自分より長生きしてほしい。
悲しみたくないから。いつまでも自分の生きる楽しみでいてほしいから。
夫婦のんびり余生をおくって、
一人になったら家族の心配をよそに、またシングルライフをエンジョイしたい。
片づけと、のんびり趣味の映画や読書、アイドルヲタ活を堪能して、気づいたら死んでれば良い。
ただの介護の愚痴にもなってしまうけれど、、
祖父が亡くなってから、2年が経とうとしている。
そして残された祖母が「かまってちゃん」になってしまった。
それは祖父の葬式後、寂しくて憔悴している様子もなく始まった。
足が痛いを理由に病院初診ローラー(もちろん異常なし)、
そのまま外出も一切しなくなり買い物も父のおつかい。食事も一切自分で準備しなくなり、母が面倒を見ている。そして、してもらうことにいちいち文句をつける。
風呂さえ一人で入れなくなり、時間が合わず入れてあげられないといじめられたとごねる。
祖父がいたころは、全て出来ていたのに。
元から愚痴や被害妄想が多く、機嫌の上がり下がりが激しい人だったから、
なおさら実家で面倒を見ている両親の姿を見ていていたたまれなくなる。
両親は既に祖母に疲れ切って、愛想を尽かした態度をとっており、父はしょっちゅう声を荒げて接している。
おばあちゃん、もうお父さんとお母さんを困らせないで。
そんな両親の意に反し「第三者」として祖母には優しくしてしまう自分も嫌になる。
ただ少し片づけを手伝ったり、一緒に過ごすだけで渡される引いてしまうほどの金額のお小遣い。
おばあちゃん。私そんなつもりはないよ。
しかし思うのだ、
両親へのいじわるな要望、面倒なお願い、私たち孫へのお小遣い。
たぶん全部、寂しくて、かまってほしいがゆえの行動なのだと。
残念なほどに曲がった態度だから、それはもう毎日面倒を見ている両親には届かない。
祖母にもいくつか趣味はあったのだが、
一切している様子もない。
趣味や好きなこと・ものへの情熱も、年を取ると果ててしまうのだろうか。
きっとこのまま、ずっとこの家族が不機嫌な状態で、祖父が祖母を迎えにくるのを待つしかない。
言い方が酷くて不謹慎なのは分かってます。
でも私は、死ぬ間際まで「楽しそうでいいね」といわれる人生を送りたい。
そうであれば、家族に依存することもなく、寂しさに耐えれると思うから。