アラサー女の戯言

いろいろあるけど、生きてるのよ。

承認欲求を卒業したい

なりたい自分になることはできる。

ずっとそう思ってきた。

でも私の「なりたい自分」はいつだって 「みんなから好かれる人」であって 私は承認欲求の塊なんだと思う。

初めてなりたい自分になれたのは

小6のとき。

みんなから好かれたいという

「欲望」のもと、

優しい人になれば良いと、

自分の意思より他人の意思を尊重することを覚えた。

そして私は「欲望」を満たし、

みんなに好かれる子になれた。

しかし高校生になると、

私と同じ「欲望」をもつ子が

たくさん居る気がした。

今まで通り、優しいだけでは好かれない。

そこで

面白くなることで

「欲望」を満たすことにした。

誰に言われた訳でもないのに

「キャラに似合わないから」

と辞めたことはどれくらいあるだろう。

「キャラに合ってるから」

とどれくらい乗り気じゃないことをしただろう。

けれどそれで「欲望」を満たせたし、

とても楽しい日々を手に入れることができた。

ここまでで学んだのは、

「意志」を殺せば「欲望」を満たせるということだった。

そして私は、「意思」を「欲望」のために消せる人として人格を形成された。

大学に過剰な

学歴コンプレックスを抱いていた私は、

就職で学歴コンプレックスを消す

という「欲望」のもと行動してきた。

自分の興味があることに

少しでも現実的に近づいていけるように

とにかく行動してきた。

その結果は実ったように思えた。

それなのに今こうして立ち止まっている。

最近、料理をすることが楽しい。

今までしてこなかった料理。

何故、してこなかったのか。

高校生のとき、

「キャラに似合わないから」

料理は出来ない、しないことにしよう。

と、決めたからだった。

私は「なりたい自分」への「欲望」を満たすため、「なるべき自分」を勝手に造ってしまっていた。

今の自分は、自分によって、「ねつ造」された自分だ。

だけど、それもまた「自分」。

すぐに怒ったり泣いたりワガママを言える素直な人を、私はすごく「人間らしい」人だと言って憧れる。

私の身体はきっと

長く脳の独裁政治が続いていたようだ。

環境が変わってやっと

心が市民革命を起こしたんだ。

私の承認欲求のゴールは、自分でいまのありのままの自分を、褒めて認めてあげることなのかもしれない。