アラサー女の戯言

いろいろあるけど、生きてるのよ。

寂しさに耐えうる老人に。

 今週のお題「理想の老後」

 

結婚相手には、自分より先に亡くなってほしい。

寂しい思いをさせたくないから。

推しには、自分より長生きしてほしい。

悲しみたくないから。いつまでも自分の生きる楽しみでいてほしいから。

 

夫婦のんびり余生をおくって、

一人になったら家族の心配をよそに、またシングルライフをエンジョイしたい。

片づけと、のんびり趣味の映画や読書、アイドルヲタ活を堪能して、気づいたら死んでれば良い。

 

 

ただの介護の愚痴にもなってしまうけれど、、

 

祖父が亡くなってから、2年が経とうとしている。

そして残された祖母が「かまってちゃん」になってしまった。

 

それは祖父の葬式後、寂しくて憔悴している様子もなく始まった。

足が痛いを理由に病院初診ローラー(もちろん異常なし)、

そのまま外出も一切しなくなり買い物も父のおつかい。食事も一切自分で準備しなくなり、母が面倒を見ている。そして、してもらうことにいちいち文句をつける。

風呂さえ一人で入れなくなり、時間が合わず入れてあげられないといじめられたとごねる。

祖父がいたころは、全て出来ていたのに。

 

元から愚痴や被害妄想が多く、機嫌の上がり下がりが激しい人だったから、

なおさら実家で面倒を見ている両親の姿を見ていていたたまれなくなる。

両親は既に祖母に疲れ切って、愛想を尽かした態度をとっており、父はしょっちゅう声を荒げて接している。

おばあちゃん、もうお父さんとお母さんを困らせないで。

 

そんな両親の意に反し「第三者」として祖母には優しくしてしまう自分も嫌になる。

ただ少し片づけを手伝ったり、一緒に過ごすだけで渡される引いてしまうほどの金額のお小遣い。

おばあちゃん。私そんなつもりはないよ。

 

しかし思うのだ、

両親へのいじわるな要望、面倒なお願い、私たち孫へのお小遣い。

たぶん全部、寂しくて、かまってほしいがゆえの行動なのだと。

残念なほどに曲がった態度だから、それはもう毎日面倒を見ている両親には届かない。

 

祖母にもいくつか趣味はあったのだが、

一切している様子もない。

趣味や好きなこと・ものへの情熱も、年を取ると果ててしまうのだろうか。

 

きっとこのまま、ずっとこの家族が不機嫌な状態で、祖父が祖母を迎えにくるのを待つしかない。

 

言い方が酷くて不謹慎なのは分かってます。

でも私は、死ぬ間際まで「楽しそうでいいね」といわれる人生を送りたい。

そうであれば、家族に依存することもなく、寂しさに耐えれると思うから。

 

新卒1年目で転職しても良いと思う。

 

-迷い、決断、か。

私の中ではやっぱり、

新卒で入った会社を1年でうつで辞め、

転職して上京したことかな。

 

地元から東京に来て3年。

あの時転職した会社で、私は今も働いている。

今日は久しぶりにミスをした。

普段、細かなミスも滅多にしないが、

1年に1度、不意打ちのカラクリにハマって、

災害的なミスをする。

 

-私ってこういうタイプなんだなぁ。

昨年の災害的ミス案件を思い出して、納得する。

-人間だもの

-しょうがない

-運が悪かった

 

社会人歴が長くなる過程で培われた、

恐らく人並みのミスへの対処法と

ヘコんだ心からの脱却思考で、

なんとか自分をリカバリーしながら、

電車でぼうっとツイッターを眺めていた時に、

このブログテーマのツイートを見つけた。

 

-はてなブログ、書いてたよなぁ。

スマホが記憶していてくれたIDとパスワードでログインすると、まさに入社1年目でうつになり、会社へ行かず療養していたときの記事が残っていた。

 

うつになった原因が

自分の性格にあると考え、

自分の性格や、

この性格が作られた要因となった

環境や出来事を一生懸命分析していた。

 

分析をし、迷った結果、

会社を辞め、転職し、

業界も職種も生活拠点も変えるという決断をした。

就活して、迷った結果、

憧れの業界の会社への入社を決断したくせに。

 

しかし、

1社目に選んだ会社の決断も、

間違いではなかったと、今は思える。

確かに前の会社は、

側から見てもブラック企業

体育会系の古い体質の会社だったが、

憧れた業界だけあり、

今となって仕事内容を思い出しては、

-今の状態で前の会社でやり直したい、

-今ならもう少し上手くやれる。

と、惜しんだり出来るのだから。

 

そして、

そう思える余裕が今があるのは、

転職するという決断をしたからこそだ。

 

入る会社の順番が逆だったとしても、

私は1社目でうつになり、

原因を考え、自分を分析し、

業界も職種も生活拠点も変えるという決断を

していたかもしれないとさえ思う。

 

そんなわけで、

転職に成功したかどうかは分からない。

毎朝、今日も行きたくないなと思うし、

日曜の夜は泣きそうになるし、連休は嬉しい。

仕事に面白みもやりがいも

特に感じたことはないが、

自分が求めていた働き方が出来ている気もする。

また転職するのは面倒なのでまぁいいや、

こんな具合だ。

 

それでももう死にたいとは思わない。 

夏休みの旅行を楽しみにしているし、

直近では金曜の夜に1人で映画を観ながら、

家でワインをあけるのが楽しみだ。

彼氏とそろそろ結婚したいなぁ。

子供も産みたいなあ。

 

人生は決断の連続。

どの決断も、間違いにはならない。

間違っていたと感じた時に、

また別の決断を下せば良い。

 

今がどんなにダメダメでも、

ダメダメな自分でも、

自分を許し、愛してあげること。

生きていれば、いつか必ずそれに気付ける。

生きていれば、大丈夫。

生きるという選択肢を

選び続けるために決断する限り、

その決断はすべて正解なのだ。

 

脱出

 

気づけば三ヶ月。

一日の終わりに当然のように睡魔が襲ってきて、

その睡魔に逆らうことなく眠りに落ちることができるようになっていた。

 

何をしていても

明日が来るのが、また月曜日が来るのが嫌で嫌で仕方なく、

何をしていても

また始まる嫌なことに備えるための気休めの時間と動作にしか感じられなかった。

「どうでも良い」

そう思ってその嫌なこともすべてやり過ごしてしまえば良いのに、

「どうでも良くない」ことまでも、

その「どうでも良い」ことのせいで毒されてしまったから、

私は一度その「どうでも良い」そのすべてを投げ出して逃げ出してきてしまった。

 

このことを知る人は本当に数少ない。

そしてこれからはこのことを知らない人しかいない世界で生きる。

 

私は過去を置いていくしいづれ消えていくことに躊躇はない。

思い出す必要はない。

そのとき関わっていた人たちとの関係を自ら動いて浄化させる必要もない。

自分にそう言い聞かせる。それが自分へのエール。

けれど今の、これからのわたしはこの過去の上にあることは忘れない。

でもそれを人に話す必要はない。

 

「今」だけで勝負しよう。

もう負けたんだからまた何度も負けたって良い。

負けることをまた恐れないで。

 

他人と比べてはその綺麗な人生にあこがれてはしまうけれど、

綺麗でなくて良い。

綺麗にしようとすると、私は疲れてしまう。

 

「今」生きていれば良いんだから。

未来は誰にも分からない。

 

水曜日の飲み会に、着て行く服を考える時間を楽しく思える「今」が幸せ。

 

 

 

 

 

うつ回復とともに観る私のテーマソング

今週のお題「私のテーマソング」


先ほどの記事をpostしたあとに、

今までの記事を読み返し、

あぁ私はちゃんと順を追って

回復しているのかもしれない。


と思ったところに

良いテーマがあったので書いてみる。



会社に行くのが辛くて嫌で嫌で

仕方ない時期に必ず聞いていたのは、 



である。

アリアナはなんとなくサビが

戦っている風で元気が出ると言うか

奮起できたので、

毎朝、また気分の落ち込んだ休日に

聞いていた。


いよいよ毎朝起きた瞬間から

泣きそうかダルくて仕方なかった私を布団から出してくれたのが、

ドリカムである。


壊れて泣いたって願いは届かない


というフレーズにただ共感せざるを得なく、仕方なく仕事に行くための準備をしていた朝が今は懐かしい。



うつ状態と診断されて

なにか元気の出る曲はと

YouTubeを漁って出会ったのが



である。
たまに強く死にたいと思っていた私に、
難解なようでただ不器用にでも美しく、
生きてて良いんだよと、
教えてくれた林檎さんには感謝を伝えにいつかライブに生きたい。


また、落ち着いているときは
適当に洋楽popを聞いているのが
心地良かった。



退職、転職、色々なことを
決めねばと、迷っていたときは



に元気づけられた。

そう、何度でも、
生まれ変われば良いのだと。



そして様々なことが
決まりつつある最近、
よく聞いているのは



である。
この療養期間で、
この歌を歌ってあげたい人が
たくさんいることが
分かったことが
とても幸せである。


カラオケでは絶対歌うようにする。


面白いもので、
思い出してみると、
人生の中で自分なりの
エピソードをもつ曲はたくさんある。


何故か初恋のテーマソングにしている
中学生のときの彼とのテーマソング
  • 千の夜をこえて aqua times
未練タラタラなときのテーマソング
受験生のときのテーマソング
  • 新しい世界 ASIAN KANGFU GUNERATIOM
  • ワンルームディスコ pafume
就活のテーマソング
  • We never give up
  • キスウマイ              Kis-My-Ft2

海外旅行に行くときの旅のお供
  • ONE DIRECTION

いま思いつくのでこんなところである。


スペルミスなどは見過ごしてほしい。

ただ、これらを踏まえて、
私のテーマソング、にするならば

である。
初めて聞いたときから
気に入ったし、
病めるときも、健やかなるときも、
いつも聞いている気がするから。


回復と和解



突然会社に行かなくなって二ヶ月。

まだ二ヶ月、もう二ヶ月。

療養として遊んで二週間、
療養として何もせず二週間、
転職活動をして三週間、
会社を辞め、バイトをして二週間、

くらいになるだろうか。


診断されたときの気持ちや、
恐ろしいほどに
自己分析をしていた
数週間前の気持ちは、
今はもうすっかり忘れられている。

いつからだろう。
先々週くらいからだろうか。

少し前まで、
私は母を恨んでいた。
幼少期の私に母からの愛情が
足りていなかったと
決めつけていたからだ。

そのくせ決断の際は、
母の価値観に影響されていたことが
私にとってストレス
だったのではないかと思い、

転職をして、
実家を出ることに決めた。

そのことをぎりぎりまで
常に忙しくしている
母に話すことができず、
やはりこんなに忙しい母から
愛情をもらうことは
できなかったよな、
と決めつけていた。

出来ればお金のことも
頼らずに、家を出たかった。

でもそうもいかなかったので
そこだけは不本意だが、
話すしかなく、
そのときはやってきた。

母は母なりに
私が思い悩み、決めたことを、
分かってくれた。

内心私がうつ状態であることにも

理解を示していないのは相変わらずだが、

私がずっと思っていた、

先述の、お金の負担をかけたくない想いのように、

「迷惑をかけたくないと思って生きてきた」

ということを、話すことができた。


母の愛情が足りなかったと

思ってしまったことも全て、

この言葉に集約される。


母は当たり前のように

「何言ってんの、そんなことあるわけないじゃない」

と言って、お金のことも、今後のことも、全て私が思うより手厚く気にかけ、サポートしてくれた。


きっとこのことが、

最も私の心を軽くした要因だったように思う。


人生の選択も、仕事も、プライベートも、


「迷惑をかけたくない」


と気張ってきた私が

二ヶ月前に落ちた穴から

手を差し伸べ、

救ってくれたのは、

私が一番、

迷惑をかけたくなかった

母だった。

逃げたいから逃げることは逃げではないと言って。

 

 

逃げるのも仕事。

逃げるのも才能。

 

逃げたって良い。

 

会社を辞めたい人,

だった私はこんな言葉に

励まされていた。

 

逃げることは

ずいぶんと前から心に決めていて,

でもさぁどうやって,

と,もがいていたら鬱になって

苦しんでしまった。

 

さっさと辞めちゃいなよ

辞めろ辞めろ~

もう十分頑張ったんだからもう頑張らなくて良いよ

早く辞めなよ

辞めても何も思わないよ

 

分かった。分かってる。ありがとう。

 

だけど何かを辞めることが,

こんなにもエネルギーを使うことだなんて,

もう経験したくはない。

就活は恋愛だというけれど,

仕事を辞めるときはきっと違うと思うのは,

私がまだ本当の恋愛をしていないからなのだろうか。

 

始めるときより辞めるときのほうが大変。

ということを,

何人の人は知っていて事を始めるのだろうか。

 

辞めれない人がいて,

この社会が回っているのかも知れないと,

心からそう思う。

でも辞めれない人には辞めれない人の何かがあるから,

続けられるのだろうな,とも。

 

模索して,たくさんの言い訳を考えて,

辞めることを温め続けていた私は,

なんだろう,

やっと今になって会社に伝えることが出来た。

昨夜の午前3時までかかった作文を,

今朝起きたときに今日の夕方4時くらいに送ろうと,

決めてその通りに送った。

不思議とここまで温めてきた期間とやり方が

腑に落ちていて,

とてもすっきりしている。

 

まだこれからどうなるか分からないけれど,

心が軽いとはこのこと。

 

 

そしてもう1つ,

人に求めることは,求めようとしなければ,

与えられないのだと。

 

それはきっと,私が今までで一番苦手だったこと。

求めることができないから,

ー自分でやってしまおう,神に願おう,その人のせいにしよう

そうではないのだと。

 

私は勇気が欲しかった。

勇気が欲しくて,直接的にでも,間接的にでも,

遠回りをしながらここしばらくの間勇気を探していた。

 

少しずつ,少しずつ勇気が集まった。

でも最後の最後に足りなくて,

集めた勇気と少しのタイミングで偶然に,

私の目の前に現れた天使に勇気を下さいと,

素直に言った。

 

そしてやっと,崖から飛び降りることができた。

 

未来は明るい。

 

私もいまたくさんの勇気をもらった人に,

いつか勇気を与えたい。

いつでも頼ってと,愛と勇気を与えられる人になりたい。

 

私らしさを失っていた私は,またもう1歩私らしくなった気がした。

 

昨日の今頃,

こんなにつらいことはないから,

やっぱり死んでしまおうかと思った自分には

もう当分会いたくない。

 

承認欲求を卒業したい

なりたい自分になることはできる。

ずっとそう思ってきた。

でも私の「なりたい自分」はいつだって 「みんなから好かれる人」であって 私は承認欲求の塊なんだと思う。

初めてなりたい自分になれたのは

小6のとき。

みんなから好かれたいという

「欲望」のもと、

優しい人になれば良いと、

自分の意思より他人の意思を尊重することを覚えた。

そして私は「欲望」を満たし、

みんなに好かれる子になれた。

しかし高校生になると、

私と同じ「欲望」をもつ子が

たくさん居る気がした。

今まで通り、優しいだけでは好かれない。

そこで

面白くなることで

「欲望」を満たすことにした。

誰に言われた訳でもないのに

「キャラに似合わないから」

と辞めたことはどれくらいあるだろう。

「キャラに合ってるから」

とどれくらい乗り気じゃないことをしただろう。

けれどそれで「欲望」を満たせたし、

とても楽しい日々を手に入れることができた。

ここまでで学んだのは、

「意志」を殺せば「欲望」を満たせるということだった。

そして私は、「意思」を「欲望」のために消せる人として人格を形成された。

大学に過剰な

学歴コンプレックスを抱いていた私は、

就職で学歴コンプレックスを消す

という「欲望」のもと行動してきた。

自分の興味があることに

少しでも現実的に近づいていけるように

とにかく行動してきた。

その結果は実ったように思えた。

それなのに今こうして立ち止まっている。

最近、料理をすることが楽しい。

今までしてこなかった料理。

何故、してこなかったのか。

高校生のとき、

「キャラに似合わないから」

料理は出来ない、しないことにしよう。

と、決めたからだった。

私は「なりたい自分」への「欲望」を満たすため、「なるべき自分」を勝手に造ってしまっていた。

今の自分は、自分によって、「ねつ造」された自分だ。

だけど、それもまた「自分」。

すぐに怒ったり泣いたりワガママを言える素直な人を、私はすごく「人間らしい」人だと言って憧れる。

私の身体はきっと

長く脳の独裁政治が続いていたようだ。

環境が変わってやっと

心が市民革命を起こしたんだ。

私の承認欲求のゴールは、自分でいまのありのままの自分を、褒めて認めてあげることなのかもしれない。